2008年1月25日金曜日

英国病院の運営体

「トラスト」という言葉を聞くと、「ナショナル・トラスト」を思い浮かべる人も多いと思う。これは限りなく公的に近い私的団体というべきなのだろうか。NHSトラストという場合は、病院や地域の医療サービスの運営母体のことを指す。同様に限りなく公的と私的の中間に位置する団体である。

以前、このコラムで国民保健サービス(NHS)は完全国営で始まったと書いた。ところが、時代が経るにしたがって、組織疲弊を起こし、効率よく質の高い医療を提供できない状態になっていった。

1990年サッチャー政権下で改革が行われ、「NHSトラスト」という組織が各地に作られた。これは完全に保健省の統制下にあった国営企業たる保健サービスを、地域ごとに独立させ、さまざまに効率を上げることが目的であった。独立と言っても人事権や予算の配分など、国の統制がそれでも強く残っている。

このトラストには大きく分けて、下の5つある。
1) 急性期トラスト(Acute Trust) (言ってみれば通常の総合病院の集合体)
2) 救急搬送トラスト(Ambulance Trust) (救急車などの搬送のみ扱う)
3) ケアトラスト(Care Trust) (新しくできた形態のトラストで、「治療」というよりケアに焦点をあてた保健サービスを提供する)
4) 精神保健トラスト(Mental Health Trust) (精神疾患関連は別枠にトラスト形成していることも多い。)
5) プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust) (地域に根ざした一次医療を担っていく家庭医などを含めたトラスト)

一般的にはこの急性期トラストというものがトラストの代表格となる。(http://www.nhs.uk/England/AuthoritiesTrusts/Acute/Default.aspx)
実際にはこの急性期トラスト、地域の2-3の病院の集合体である。たとえば、筆者の勤める王立ロンドン病院は、聖バーソロミュー病院、ロンドン胸部病院と合わせて「バーツとロンドン・トラスト」と言う名前のトラストの運営である。日本で言えば一つの医療法人がいくつかの病院を経営しているような感じであろうか。

蛇足だが、この王立ロンドン病院、例のロンドン地下鉄・バステロで被害のあったオールドゲート駅に最も近い大きな総合病院だったので、かなりの被害者を収容した。

各トラストには運営委員会のようなものがあり、経営の専門家、医療部門の代表、看護部門の代表、財務の専門家などからなる。この委員会が国の指導を受けながら運営しているといったところである。この委員会のトップは通常医師ではない。

わざわざこう書くのは、洋の東西を問わず、病院や医療サービスの意志決定にまつわる人間関係の中に、医師集団とそれ以外の職種集団によく摩擦が見られるのである。一般の方には分かりにくいと思うが、病院で働く方にはよく理解していただけると思う。

現在行われているブレア政権のNHS改革では数多くの面でトラストに直接・間接に影響を及ぼしているが、私の目から見て大きな点が二つある。

一つにはファンダメーション・トラストということ。もう一つが患者・消費者代表参加である。

このファンダメーション・トラストというのは通常のトラストの独立性をさらに強く進めた形で新しい形のトラストである。どちらかというとサッチャー政権下の改革と同じ方向性(というよりはその延長)にあるので、労働党内でもいろいろ紛糾した上で決まった事項であった。上にかがけた急性期トラストのうち、条件を満たしたものはこのファンダメーション・トラストへの昇格が許される。

このファンダメーション・トラストに昇格すると、それまで政府の決定事項であった予算決定権や人事権など、独立して決定できる事項が増え、独立性が強くなるわけである。これは「アメ」の部分で、この昇格のためには運営の透明化や診療ガバナンスなどに関して努力しなければいけない「ムチ」の部分もある。現在までにこのファンダメーション・トラストに昇格したトラストは37ある。しかしながら、将来的にはすべてのトラストがこのファンダメーション・トラストに移行される予定ではある。

もう一つは患者・消費者代表の参加であるが、このこと、とても重要なことなので、項を改めて紹介する予定である。端的に言えばトラストの担当する地域の住民代表が患者・消費者側の代表として運営陣に加わることが法律で決められた。これはトラストの運営に限らず、英国の保健医療サービスのほかの多くの部門でも同様に変わった重要な動きである。

もっとも考えれば、医療を受ける側の住民や患者の代表が運営に口出せない方がおかしいとは思うが・・・。

医療現場から見て、こういったトラストの変化は現実にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。

以上のことに限らず、待機時間の短縮から各診療行為に至るまで、国の改革はすべてトラストを通して医療現場に到達されるため、当初はうっとうしがられていたが、全体としてトラストの動きが活性し、現場への関与も増えたため、現場そのものもどこかしら前向きに活性化しているように感じる。

診療行為の一つ一つまでに口出しされたかなわないという医師たちが数多くいるにはいるが、どちらかといえば、こういう流れに乗って、積極的に診療行為も変えていこうという動きの方が強い。

改革とか変化というのは実はその内容や理論だけが鍵になるのではなく、現場の雰囲気や態度、やる気を改善することも同じだけ重要である。現在のブレア政権の保健制度改革が一定の成果を得ているのは、こういうところに配慮があるからではないかと思う。

(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)

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