2008年2月4日月曜日

フライング・ドクター

オーストラリアでの医師としての経験でいまだに自分の心に強く残っているのは、フライング・ドクターの経験である。小さな飛行機からみる、どこまでも続く赤土の大地は、言葉の意味を失わせる体験である。

オーストラリアのフライング・ドクター(www.flyingdoctor.net)の歴史は元をたどればオーストラリアの歴史より長い。正式にはRoyal Flying Doctors Service of Australia (RFDS)という。建国以前、まだ英国の領土であった時代に、都市部から遠く離れた農場で働く人たちが落馬して骨を折ったとか、毒蛇に咬まれた(大きい農場には血清などは保存してある)とか、急な病気などの場合に、医師を乗せた飛行機が現場に急行し、病院に搬送する、という形で始まった。

何しろ、一番大きな農場は広島県より大きいという国柄である。どこの町や村に行っても舗装はされてなくても滑走路はある。ちなみに、どこの町に行ってもあるのがパブと教会とクリケット・グラウンドである。

新生児科医の大きな仕事の一つに、状態の悪い赤ちゃんを別の病院から搬送することがある。新生児医療というものはどこの病院でもできる類のものではなく、設備や人的資源が特殊になるため、一部の限られた病院でしか提供できない。ところが、「出産」というのはどこの病院でも、はたまた自宅でもあり得ることである。そうすると自然に、状態の悪化した赤ちゃんをより大きい病院に搬送する機会が増えるわけである。

ニュー・サウス・ウェールズ州などのように人口の多い州は、この新生児搬送用の飛行機を所有しているが、私の働いていた南オーストラリア州はそこまで人口も多くなく(人口せいぜい100〜200万人で日本の約3倍以上の州土)、フライング・ドクターと提携して新生児搬送を行っていた。

数え切れないぐらいの搬送をこなしたが、いまだに覚えているものも幾つかある。南オーストラリア州では北部準州も守備範囲になるため、オーストラリアの真ん中にあるアリス・スプリングスという町(エアーズ・ロックに近い)にも3回ほど飛んだ。往復で12時間かかったこともあった。

海辺の小さい町に飛んだときには、搬送元から体長1メートル近いクレイ・フィッシュ(ザリガニ)を戴いたこともある。飛行機の翼(自然の冷蔵庫)に入れて持ち帰り、さっそくBBQ(バーベキュー)で頂いた。

近辺の町であれば、ヘリコプターで行くことも多い。ヘリコプターの中で新年を迎えた年もあった。ヘリコプターの場合はどこの町にもあるクリケット・グラウンドがヘリポートとなる。ヘリコプターから眺めるアデレード市の夜景は絶品である。

この新生児搬送の体験で、2つ伝えたいことがある。

1つは、この搬送でいつも驚いたのが、搬送元の医療レベルの高さと標準化である。どんなに小さな病院に行っても、初期医療は標準化された形にのっとって行われており、挿管や点滴、抗生剤の種類、量、蘇生の手順など、州内はほぼ統一化された形になっていた。これは英国でも見られない、オーストラリア医療の隠れたすばらしい業績である。集中医療ではベストの治療方針というのは「治療方針を変えないこと」ということもよくあり、州内の最も大きい病院での治療方針にのっとって行われているため、あれだけ広い国土にもかかわらず、全体として高いレベルで標準化が実現しているのである。

もう1つはお母さんの搬送である。日本でも英国でも救急車の収容人数と言うこともあり、生まれたての赤ちゃんの状態が悪化すると、その赤ちゃんだけを搬送し、お母さんは分娩した場所に取り残されることになる。しかし、オーストラリアではお母さんと赤ちゃんはまだ一体であるという考え方の基に、救急車をもう1台手配してでも同時に2人とも搬送するのである。これは後々のお母さんと赤ちゃんの関係に大きく影響しないわけがない。私は現在ロンドンの新生児搬送医療にも関与しているが、ロンドンでもこういう形になるように現在努力中である。

オーストラリアの医療は、日本ではあまり注目されていない。しかし、最新の研究とか、最先端の機器とかいうのではなく、実際の医療のレベルを全体的に標準化しつつ上げていくということに関しては、とてもよくできている。そしてこういった派手に見えないけれど着実な努力を要することも、よりよい医療サービスを提供する上でとても重要なことである。

(既出・日経メディカルオンライン・一部改編・禁無断転載)

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