2008年3月9日日曜日

日本の医療

今回は海外から見た日本の医療のことを考えてみたい。仕事の合間を縫って京都東山、高尾山など紅葉の美しいところを回ることができた。日本は相変わらず美しい国である。

日本の医療などちっぽけなこのコラムで書き切れるわけがない(もっとも英国の医療もそうである)。ただ、私が日本に滞在していつも思うことに「良心」がある。今回は医療の良心について書きたい。

日本でがんばっておられる医療者の方と意見交換すると、「英国はすばらしいですね、それにしても日本は…」と、日本の医療が遅れているという認識を持たれている方が多い。

確かに日本の医療は遅れている部分がある。全体としてのシステムを考えること、患者や医療者の権利・人権を守ること、臨床研究を正しくすることで医学そのものに貢献すること、日本や米国以外の国の医療を考えること(途上国も含めて)、遅れているという部分は数え切れない。

それでも、実際に患者さんが受けられている医療は平均的に日本の方が、少なくとも英国や米国と比べても、高い質が保たれていると実は感じる。私が経験してきた限り、そう思う。世界一の平均寿命や周産期死亡率は、単に社会的な要因だけから支えられているわけではない。

私も以前は日本で医療者として働いていた。最近になってようやく海外で医療者として働いている時間の方が長くなったが、つい最近までは半々ぐらいであった。地方で身を粉にして働く小児科医の一員であった。

最近、新聞での報道もあり、小児科医と産婦人科医が足りなくて困っているということが周知の事実となりつつある。小児科医も産婦人科医も忙しい。

私がオーストラリアへ渡る直前の1カ月の生活を今でも覚えている。予定日よりも4カ月半早く生まれた私の担当の赤ちゃんの出生体重は、普通の赤ちゃんの10分の1であった。その赤ちゃんが生まれてから、私は夜昼関係なく、曜日関係なく、外来の途中であろうと、真夜中であろうと、3〜4時間おきに起きて様子を見たり血糖を測ったりする生活が続いた。当然休日など無い。別に強制されていたわけではない。同じ患者さんを同じ医師が診続ける方が容態がより把握できるので、自らそうしていただけである。本当に「元気に退院して欲しい」という気持ちからそのように働いていたと思う。もっともそれが出来る体力があったからなのだが。とにかく忙しい生活であった。労働基準法を守れている小児科医など見たことがない。

同僚たちのことも覚えている。昼間は丁寧に一人ひとりの患者さんを診るために夜になってから必死に事務仕事をしている医師たち、飲み会中でも手術や手技の手付きを練習している研修医、緊急時に発揮する医師と助産師のあうんの呼吸、気が付かないところで患者さんに細やかな心遣いをしている看護師、病気のことをたくさん調べて質問に来る検査技師、着実に美しいレントゲン写真を仕上げてくれる放射線技師、時には叱咤しながら辛抱強く患者さんの社会復帰を願う訓練士、患者さんの家族や退院後の環境も考えているソーシャルワーカー、実際の薬の飲み方まで患者さんへ丁寧に説明してくれる薬剤師、患者さんについて医師が見落としがちな点まで上手に教えてくれる心理士、私のぞんざいな事務仕事をいつも補足してくれていた事務の方々、あちらこちらに残された隙間の仕事を埋めてくれながら笑顔を欠かさないボランティア…枚挙にいとまがない。

実はこの良心、病院にいる医療者だけではない。厚生労働省をはじめ医療政策や公衆衛生に携わる医療者たちも含む。全体としてのシステムが欠けていると書いているが、これは何も厚生労働省の方の責任でもない。全体的な問題があると政府や役人が問題と見る向きもあるが、本当はみんなの問題である。実際にこういった省庁で働く方々の働きぶりや考えていることを聞くと、ここにも良心に支えられた丁寧で効果的な仕事が見えてくる。霞ヶ関の夜遅くまで明かりの付いた下で動く人影を見るといつも思う。いろいろ問題はあるにせよ、厚生労働省の役人一人ひとりのがんばりに支えられて日本の医療体制があり、その体制により質の高い医療が患者さんに伝わっているのも事実である。

医師、看護師、助産師、その他すべての領域の医療者たちの多くに、自分を譲ってでも患者さん達の健康を優先する気持ちが見られる。患者さん側からは見えない部分でも、こういう良心で一杯である。日本の医療がこういった医療者たちの良心によりシステムのほころびが埋められていることを知っていて欲しい。英国にそれが無いとは言えないが、日本ほど多くの人がこういう良心を持っている場所はなかなかない。

法律(たとえば労働基準法)を守ったら医療そのものが成り立たなくなる、というのも変な話である。今日明日、1日1秒の日本の医療がこういった医療者たちの良心で成り立っていることを心して、医療の質と安全を高めるシステム、医療者たちの勤務状況を改善するシステム、経済効率を高めるシステムを一刻も早く導入していただきたいと思う。もっとも今の法律や制度が現状そのものさえ反映していないので、様々な職種の役割分担など、抜本的な改革はいずれ必要であろうが…。

一方で、どのようなすばらしいシステムを導入しても、かならず隙間が生まれることも認識しておく必要もある。もちろん、人々のやる気を喚起させるシステムを考えることもとても重要だし、日本ではまだまだ欠けていると思うが、こういうシステムにも限界がある。数字に表れる部分はシステムの改善がかなう余地も大きい。ただ、一人ひとりの患者さんの受け取る医療の質や安全には数字にならない部分の影響もかなり大きいのである。

もう一つ、日本の医療者が海外で日本を紹介する際、決して卑下する必要はない、遅れた部分、海外に学ぶべき部分はたくさんあるが、一方でこのように誇りに出来る部分もたくさんあるのである。自信を持って海外から学びたい。

良心に頼ってはいけない。良心を失ってはならない。

(既出・日経メディカルオンライン・既出・一部改編・禁無断転載)

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